平岡昇修(東大寺)の息子や妻の顔画像は?学歴は東大寺学園でサンクリット語の留学

東大寺住職の平岡昇修(ひらおかしゅんしゅう)の息子顔画像を調査して特定できました。

平岡昇修上院院主wiki経歴学歴を追いかけていきます。

高校時代は東大寺学園で過ごして留学しサンクリット語を学んだそうです。

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平岡昇修上院院主のwiki経歴とプロフィール

平岡昇修上院院主の経歴とプロフィールを見ていきます。

プロフィール
名前 :平岡昇修
読み方:ひらおかしゅうしゅん
旧名 :平岡昇
年齢 :69歳
誕生日:1949年
出身地:奈良県奈良市
現在地:奈良県奈良市

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出生後は「平岡昇」という名前でしたが、修行することで「平岡昇修」に改名しています。なにか悪いことではなく、こういう習わしなのです。

好きな言葉は「努力は人を裏切らない」だそうです。

「サンクリット語」に関する書籍を多く出版しています。「サンクリット語」はインドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代インドの言葉だそうです。

興味が湧いた方はコチラ。スピードラーニングのように効いて覚える書籍です。お手頃価格でレビューが良かったので、新しい語学を学ぶたい方向けです。。

 

サンクリット語を調べていたら、癒し系の音楽を見つけました。サンクリット語が使われていると思います。

29歳ごろ(1978年)にヨーロッパからインドまでヒッチハイクで旅行した経験があります。

32歳で住職になっているので37年間も従事され、さらに東方学院講師の仕事をしています。

胃カメラを飲んだことを報告しています。

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<職歴>
昭和55年(1980) 日本学術振興会奨励研究員(昭和56年まで)
昭和56年(1981) 東大寺塔頭 金珠院住職 (平成9年まで)
昭和58年(1983) 大谷大学非常勤講師(昭和60年まで)
昭和60年(1985) 花園大学非常勤講師(平成20年まで)
平成5年 (1993) 桃山学院大学非常勤講師(平成8年まで)
平成9年 (1997) 東大寺塔頭 上之坊住職 (現在に至る)
平成17年(2005) 名古屋外国語大学非常勤講師(平成19年まで)
平成19年(2007) 東大寺財務執事・東大寺図書館長 (平成22年まで)
平成22年(2010) 東大寺財務執事(平成25年まで)
平成26年(2014)東大寺 大仏殿院主
平成28年(2016)東大寺 上院院主

<社会貢献、所属団体>
財団法人 アジア・アフリカ国際奉仕財団 理事長
公益社団法人 全国国宝重要文化財所有者連盟 副理事長
東大寺福祉療育病院 理事長
アジア協会アジア友の会であるJAFSのインド文化センター長

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平岡昇修(平岡昇)の学歴や高校や大学どこ?

高校まではずっと地元の東大寺近辺に住んでいたようですね。

昭和46年(1971) 大谷大学文学部仏教学科(インド学専攻)卒業
昭和46年(1971) 大阪大学文学部大学院研究生(昭和47年まで)
昭和47年(1972) インド政府給費留学生としてマドラス大学(University of Madras) インド哲学科(MA Indian Philosophy)修士課程
昭和50年(1975) マドラス大学文学部インド哲学科修士課程修了
昭和54年(1979) 大谷大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学

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平岡昇修の息子は?

平岡慎紹(ひらおか しんじょう)です。

東大寺 大仏殿副院主
1987年生まれ。
16歳で得度。
24歳で愛知学院大学大学院 博士前期課程 文学研究科日本文化専攻終了。
同年4月より醍醐寺 中田順和座主より四度加行の指導を受け、満行。
金珠院 住職。
東大寺 勧学院副院長

顔画像は画像中央の眼鏡をかけている男性です。

平岡昇修の妻(嫁)や息子は?

偉大な経歴を持つ平岡昇修の家族が気になります。

妻が判明しましたが、跡取り息子の情報は分かりませんでした。

「東大寺上院院主の平岡昇修氏の妻でもある平岡三保子(平岡三峰子/ひらおかみほこ)」という紹介がありました。奈良市のパンフレットにありました。

ジョン万次郎の数ある子孫のひとりだそうで、東方学院講師を務めて「インド古典と美術」という講座をしていたようです。

出版物もありましたので、気になる方はコチラ。

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顔画像が見れるリンクはコチラ!

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